仲村一男のエッセー

 

 強いものは美しい、私は強いものが好きだ、弱いものには同情が持てても好きには成れない。絵画の場合先ず美しくなければいけない。私は野生の美を特に尊重して居る、野生の真が欠けた作品には頭がさがらない、野生を大切に育て上げて美化した時初めて人をうつ作品になるのではないかと思う。野生は修養して得られるものではなく、これこそ天性のもので、此の有無により勝負がきまるのではなかろうか。私には有るか無いかわからない、有つて呉れれば有り難いがと思つて居る。私は写実を信条に仕事をして居るが、具象、抽象は問はない、真実で有るか否かが問題である。私は抽象画を描いて居るが、あくまで写実の精神でやつて居る、私には写実が詩である。写実の無い抽象なんて信じられないし、又そんなものが有つても芸術ではないと思う。私は物を描きたい、物の真実にふれた時の喜び、この感激を現す為に抽象の道を選んだ。信じた事を誤魔化さずに、やる以外何も無い。信じたことをやつて若しも価値が無かつても仕方がない、初めから此の世に生れなかつたとあきらめれば気が楽だ。愚かな人間で有る以上唯、警戒しなければ、いけない事に、何時の間にか自分の殻を作つて安心して居る、どんどん打ち破つて成長しなければ益々小さくなつて行く。殻の中にとじこもつて居ると、天は授けて呉れない、私は殻の出来る事を一層恐れて居る。もつともつとしたい事を自由にやつて強く大きく成りたい、考えなければならない事を考へて、真に生きてこそ、常に新しい生き方では無かろうか。生活に誤魔化しが有つてはいけない、詩は消えてしまう。今まで誰もやらなかつた事、真に新しい事が生れなければ芸術では無い、物は生きて居る。抽象性には心が有り詩が有るが、装飾性にはそれを感じない。あまり高く買えない。

 

※「独立美術」25回展集(1957年)

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